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Arte概念史

伊文学レポート掲載

はじめに
 現在、”アルテarte”というと「芸術」といった意味が主流である。実際、伊和辞典においても「芸術」という意味が一番目に載っている。しかし、その意味が現れるのは「芸術」という概念が生まれる18世紀以後であるはずだ。実際、第9回講義において16世紀はarte探求の時代だとあったが、そこでのarteは「わざ」という意味が主である。よって本レポートではarteという概念の意味の変遷について調査する。


I.arteのはじまり
 イタリア語の単語 “arte”は、ラテン語の単語”Ars”に由来する。 『古典ラテン語辞典』では「1.わざ、手腕、技術、学術、芸術、技芸、手仕事(以下略)」とあり、古典ラテン語においては「わざ」という意味が主流であることが窺える。さらに、”ars”の語源はh₂r-tí- ”the fitting”すなわち「接合、接着」である。 確かに、人間にとって最も身近な「わざ」はくっつけることであるように思われる。人類が最初に生み出した打製石器も、石と石の表面を力強くくっつけて(打ち付けて)製作されるからだ。そのため、「接合、接着」から「わざ」に派生することは自然な流れである。
 では、古代ローマから中世におけるarte/arsの語義を考えよう。今回中心的に述べるルネサンスは古代文化を基盤としているため、古代におけるarte/arsについて検討することは有用である。
(1)古代ギリシア
 arte/arsの概念は古代ギリシアに端を発する。ギリシアではテクネーtechnēといい、arte/arsはtechnēを受け継いだものである。technēは、パイディアpaideia(自由人のための教育)と対になる概念で、指物大工など「手のわざ」を用いるもののための教育を指す。これらは後に、前者がアルテス・リベーラレスartes liberales、後者がアルテス・メカニカエartes mechanicaeとして古代ローマへと受け継がれていくことになる。なお、古代ギリシアの段階では教育プログラムとして確立した科目群はなく、プラトンピュタゴラスなどの哲学者が学ぶべき教養について論ずるのみであった。また、時代が下るとtechnēとpaideiaは同一視されるようになる。プラトンは『ソピステス』において、technēを作る技術と獲得する技術に分類している。前者は新しく存在を生み出す技術で、後者はすでにあるものを手に入れる技術である。ここで、現在の「芸術」にあたるものは前者に分類されている(再現する技術)。つまり、この時点でtechnēは技術と芸術の両方の意味を内包するものであったことがわかる。また、のちに七自由学芸のもととなる一般教育では、特に音楽と体育が重視された。ここでの音楽は詩歌を含んだ広い概念で、それらから学問や芸術一般が誕生した。このように、古代ギリシアのtechnēは現在の芸術や学問といった概念を包括したものであった。
(2)古代ローマ・中世
 次に、古代ローマと中世のarsについて述べる。古代ローマでは、ギリシアのtechnēを受け継ぎ、arsがartes liberalesとartes mechanicaeに分類されていた。artes liberalesは七自由学芸を指し、文法学、論理学、修辞学の三学と算術、幾何、天文学、音楽の四科から成る。この七自由学芸が教育課程に組み込まれるようになるのは古代末期から中世にからであった。また、中世になると、七自由学芸は修道僧たちの基本的学芸となった。これに基づいて文化が発展していき、特に文法と修辞学がラテン語詩の隆盛を深めた時代となった。
 一方で、artes mechanicaeについては、聖ヴィクトルのフーゴー(1096~1141)の『ディダスカリコン 第二巻』において以下のように述べられている。※[]内筆者

第二〇章 人工・人造学の七区分
人工・人造学は機械学、兵器学[建築や絵画、彫刻を含む]、商学、農学、狩猟学、医学、演劇学の七つの学知を含んでいる。[中略]これらの学知が〈人工・人造的〉すなわち〈自然模造的〉と呼ばれるのは、自然本性からその形式を借用する技術者の業を取り扱うからである。

 この定義に従えば、artes mechanicaeのほうが「手のわざ」を多く含むことになる。また、これらのartes mechanicaeは「自然本性からその形式を借用する技術者の業を取り扱う」とされているところにアリストテレスの影響が見て取れる。アリストテレスのミーメーシス論は、プラトンイデア論におけるミーメーシス[模倣]を芸術において発展させたものである。具体的には、アリストテレスは『詩学』において「一般に二つの原因が詩作を生み、しかもその原因のいずれもが人間の本生に根ざしているように思われる。まず、再現(模倣)することは、子供のころから人間にそなわった自然な傾向である。[中略]つぎに、すべての物が再現されたものをよろこぶことも、人間にそなわった自然な傾向である」と述べている。よって、聖ヴィクトルのフーゴーは、artes mechanicaeはartes liberalesと比較した際によりミーメーシス的であると主張しているのではないか。
 また、これらの学知に共通することとして、自然模倣的であるということの他に「実践[応用]的」であることが挙げられると考える。つまり、artes liberalesとartes mechanicaeは理論―応用の関係にあるのではないか。また、それゆえに肉体的な労働をともない、手のわざになるのではないか。
 なお、留意しておきたいのは現在「芸術」と呼ばれているものがartes liberalesとartes mechanicaeのどちらにも含まれるということである。具体的には、前者には音楽や詩、後者には演劇[のちに絵画・彫刻などが独立する]が含まれている。また、聖ヴィクトルのいうように、これらは同時に「学知」でもある(形容詞がついてではあるが)。よって、arsという概念それ自体にわざ、芸術、学芸という意味がすべて含まれており、それらが未分化であったことがわかる。
 このように、古代ギリシアのtechnēはarsへと受け継がれ、いまだわざと芸術と学問が未分の概念であった。

II.イタリア・ルネサンスにおけるarte
 イタリア・ルネサンスの先駆けであるダンテ・アリギエリは『神曲』を当時の方言トスカナ語で書いた。トスカナ語はラテン語の方言から派生したものであり、ダンテの用いるトスカナ語は当時の概念を反映したものとして考えてよいだろう。よって以下ではarteとarsは同じ概念を指すとしたうえで論を進める。また、この節では前期ルネサンスとしてダンテのarteを、後期ルネサンスとしてその後のarteを検討していく。
(1)ダンテのarte
 裾分一弘『イタリア・ルネサンスの芸術研究』の第二節は「arteの語義に関するノート」と題され、ダンテ『神曲』に使用されているarteの語義を分析している。それによると、ダンテのarteは以下のように分類できるという。

①人類のarte ②神のarte ③naturaに対するarte ④esperienzaに対するarte
⑤芸術に関するarte ⑥scienzaに対するarte ⑦arte liberaleとしてのarte

まず①人類のarteは、「人間が持つ技術、業、手腕」という意味でのarteである。②は、①に対して「神の行う業」である。なお著者は、このarteは神の叡智とは区別されるべきもので、神の叡智が知的側面を持つのに対し神の業は肉体的側面を持つという点に留意せねばならないとしている。次に、③は講義でも扱われていたように、「自然に対する技術」としてのarteである。しかしダンテは神―自然―人間が親―子―孫と同じような相互関係にあるとするため、naturaとarteが並列的に述べられていても意味合いとしてarteがnaturaを超えることはなかったという。④は、「経験に対しての整理・体系化された知識の総体」としてのarteである。このarteは、経験よりもより高度な知識を指す。⑤は、「特に詩の題材に形式を与える技術や、その技術を持つ人」を意味する。⑥は、「知に対する技、精神に対する肉体」としてのarteである。ここでは、arteはscienzaよりも低い地位にある。ここで、④に関連してesperienza―arte―scienzaという図式が出来上がる。そして、ここでのscienzaとarteはartes liberalesとartes meccanicaeに言い換えられるだろう。自由科目に対する技能科目は肉体的な側面があり、知的に劣位である。そのため、先の図式にも合致する。そして最後に⑦は、arteが一語で自由科目artes liberalesを表す場合がいくらかあるのだという。
 このように、arteは非常に幅広い意味で使用されており、少なくともダンテが『神曲』を書く頃までには7つもしくはそれ以上の意味が存在していることが確認できる。ここで注目したいのは、④、⑦のarteである。これらは技というよりも学芸に近いように思われる。古代ギリシア・ローマ、中世ではartes liberalesないしはartes mechanicaeというふうに形容詞が付いたものが学芸を指していた。しかし、ダンテはarteの一語のみで学芸を指している。そして、①、③、④、⑥はどちらかといえばartes mechanicaeに属するが、⑦のように例外的にarte一語でartes liberalesを示す例もある。よって、ダンテのころにはarteが形容詞なしで「学問」を指すことができるようになっていたことが窺える。
 また、これら7つの意味を技、芸術、学芸に半ば無理やり分けると、①②③⑥が技、⑤が芸術、④⑦が学芸となる。よって、ダンテのarteにおいては技という意味を主軸に芸術、学芸という意味を含んでいるといえる。
 これらのことから、ダンテにおけるarteでは、古代ギリシア・ローマを受け継ぎつつ、arteは「わざ」を主軸にしているものの、芸術や学芸も形容詞なしで指すことができるようになった。
 それでは、ダンテ以降のルネサンス期におけるarteはどのようだったのだろうか。
(2)ダンテ以降のarte
 面白いことに、『イタリア・ルネサンス辞典』のarsの項目には「芸術。しかし普通はギルドのこと。組合の構成員は”artista”である。」との記載がある。ギルドという意味合いはダンテの『神曲』の中のarteにはなかった。さらに、ダンテのarteの⑤ではartistaは詩の題材に形式を与える技術をもつ人とされており、ギルドの構成員ではない。これはなぜだろうか。
 ひとつ考えられる理由として、ここでのギルドは主に絵画の工房を指していると思われる。当時、美術は先に述べたようにartes liberalesに分類されていた。さらに、詩に形式を与える技術を持つ人はすなわち詩人であり、それにあたる語彙は古代ローマから存在するため(例:poetaなど)、むしろダンテのarteにおけるartistaが特殊な意味合いで使われていると考えるほうが妥当である。
 また、ダンテ以降のルネサンスにおけるarte概念を考察する上で重要なこととして、絵画の位置づけが挙げられる。絵画などの美術は、上にも見たように伝統的にarte概念に内包されていた。さらに、先のダンテのarteにおいても、scienzaではなくarteの側に区分されていた。しかし、ブルネレスキやダヴィンチが遠近法を開発・改良することにより、絵画には遠近法がなくてはならないものであるという意識が生じた。特に、アルベルティは『絵画について』において、絵画を幾何学と結びつけることによりarteからscienzaへ組み込もうとした。さらに、ダヴィンチもその手稿のなかで絵画をscienzaへ組み込み、さらにはscienzaを超えるものとしたようである。また、彫刻についてはギベルティが『備忘録』においてarteをscienzaに近づけようとした。これらのことから、絵画や彫刻と言った美術はarteからscienzaへと組み込まれることとなった。なお、現在「美術」という言葉はarteにあたるため、本質的にscienzaに組み込まれるということはなかったようである。ここで重要なのは、arteとscienzaの関係が同等もしくはarteのほうが上になるという転換が起こったことである。
 このように、ダンテ以降のルネサンスにおけるarteは、arte;artistaの用法を除き、その本質的な意味は変わっていないようである。しかし、scienzaに対してのarteという図式がダンテのそれとは異なっている。よって、ルネサンス期のarteは、「わざ」を主軸に「芸術」「学芸」のすべてを包括し、scienzaと同等かもしくはそれ以上の概念となった。

III.芸術arteの誕生
 それでは、arteにおいて「芸術」という意味がその中心になるのはいつ頃であろうか。その答えは美学史において確認できる。
 上でも述べたように、ルネサンス期までは、arte/arsは「わざ」と「芸術」、「学芸」が不可分な概念ではありつつも、「わざ」のほうが主であった。その後、18世紀前半にバウムガルテンが「美学」という学問を確立させる。つまり、文芸、音楽、絵画は「わざ」ではあるが機械的ではない何かがあるとする認識が生まれるのである。バウムガルテンは、それらのものを総称して「自由な技術」と呼ぶ。さらに、18世紀後半に”fine arts”という術語が誕生する。カントも「技術と認識しつつも自然な場合にのみ美しいといえる。」としている。そして、19世紀になると、”artes mechanicae”を”technique”が言い表すようになる。同時に、artといえばfine artを指すという認識が成立し、fineという形容詞が取れるようになる。こうして、「わざ」と「芸術」は分離する。
 また、学問・学芸との区別としては、ダンテのarteでもみたように、scienzaやstudiaといった語が他にあるため、arteの一語で学芸を指す用法はあまり使用されなくなったと推測できる。なお、自由学芸artes liberalesという用法は後世まで受け継がれ、現在の大学教育においてもリベラルアーツという形で残っている。
 このようにして、芸術がart ( arte ) になったというわけだ。なお、これらはドイツにおいて生まれた概念であり、それがイタリアで使用されるようになるのはおそらくもう少しあとのことであろう。
IV.結論
 arteという概念は古代ギリシアのtechnē、古代ローマのarsに根ざし、ダンテの時代にarteとして受け継がれ、その後18世紀になるまで「わざ」という意味を主軸に置き、芸術や学問という意味を包括したものであった。その後、18世紀に美学ないしは芸術という概念が誕生し、その後「芸術」を「わざ」から区別する形容詞が取れることにより、arteは「芸術」という意味が主になった。

【参考文献】
辞書
〈和書〉
秋山余思『プリーモ伊和辞典』 白水社, 2016.
片岡孝三郎『ロマンス語語源辞典』朝日出版社,2016.
國原吉之助『古典ラテン語辞典 改訂増補版』第一版. 大学書材,2016.
中森義宗『イタリア・ルネサンス辞典』第一版. 東信堂, 2003.
〈洋書〉
Michiel de Vaan “ Etymological Dictionary of Latin and the Other Italic Languages “ Leiden Indo-european Etymological Dictionary series. Leiden: Brill, 2008.
書籍
〈和書〉
アリストテレス詩学』今道友信訳 アリストテレス全集17所収 岩波書店, 1977, pp.1-263
アレクサンダー・ゴットリープ・バウムガルテン『美学』松尾大訳 講談社,2016.
イマニュエル・カント『判断力批判』宇都宮芳明訳 以文社,2004.
プラトンソピステス』藤原令夫訳 プラトン全集3所収 岩波書店, 1976, pp.1-186
泉治典『サン=ヴィクトル学派』中世思想原典集成 第九巻. 平凡社,1996.
小田部胤久『西洋美学史』 東京大学出版会,2009.
斎藤稔『人文学としてのアルス―西洋における人文主義的芸術の系譜―』中央公論美術出版,1999.
澤田悠紀「応用美術の西欧史的考察―諸技術の統合あるいは「美の一体性理論」をめぐって―」『特許研究』第63号所収 pp.45-58 独立行政法人 工業所有権情報・研修館,2017.
裾分一弘『イタリア・ルネサンスの芸術研究』 中央公論美術出版,1986.