lassiのブログ

考えたことを書きます。

2020/1/7 相聞とパストラーレ

過去に趣味で調べたものを掲載する。

『相聞I/パストラーレ』の標題設定意図について

 芸術作品は、文化と不可分である。そのため、音楽にせよ絵画にせよ、作品外の情報は作品鑑賞にとってしばしば必要となる。音楽演奏においてどの程度必要になってくるかという議論は今回はせず、千原英喜の音楽作品『良寛相聞』(2007)の初曲『相聞I/パストラーレ』になぜ「パストラーレ」という標題がつけられているかを考えたい。


パストラーレについて
 パストラーレpastorale(伊)(英:パストラルpastoral)は、牧歌的な性格をなにかしら持った芸術作品を示す。本来は羊飼いのライフスタイルを指す言葉である。そのため、「牧歌」や「田園」としばしば訳される。その起源は、一般にテオクリトスの『牧歌』(B.C.300頃)であるとされる。そして、ウェルギリウスがその形式をラテン語に適用した『牧歌』(B.C.100頃)は、ローマのエリート階級に浸透し、邸宅壁画を風景画で装飾することにもつながった。それ以後は、主に文学や絵画において一つのジャンルgenreとして確立し、作品群が作られてきた。牧歌的性格の典型例はクリストファー・マーロウ『若き羊飼いの恋歌』であり、その後の牧歌的pastorial文学の手本とされた。音楽において特筆すべきなのは、ベートーベンが交響曲第6番 ヘ長調に対し、自ら「田園 pastorale」と名付けていることだ。(そのことから、しばしば「田園交響曲」と呼ばれることが多い。)「田園交響曲」は、その各楽章にも名前がつけられており、終楽章には「牧歌 嵐の後の喜ばしい感謝の気持ち(独:Hirtengesang. Frohe und dankbare Gefühle nach dem Sturm)(英:Shepherd's song. Cheerful and thankful feelings after the storm)」と付されている。
 このように、パストラーレは西洋において伝統的なジャンルとして確立した。時代によりさまざまな形式ないし様式がさかえた。ここで注目したいのは、10世紀ころに活躍したトルバドゥールTroubadourらによる詩の中に、「パストレルpastourelle」というものが存在したことだ。トルバドゥールは、一般に中世フランスで栄えた吟遊詩人を指す。なお、彼らは作曲も手掛けたため、音楽史においても重要な存在である。(上では音楽と文学を区別して述べたが、器楽音楽が栄えるまでは基本的に音楽と詩は不可分のものであったと言ってよい。そのため、先に述べたテオクリトスやウェルギリウスの詩も「演奏」された。)
 パストレルの特徴として、リヴィエール(1974)によれば、

1)詩の情景が常に田園で繰り広げられ、舞台が田園・農村であることを示す指標が認めることができること。
2)二人の男女の「出会い」が描写されていること。
3)男女の間で、恋の駆け引きの対話がなされていること。
4)恋の駆け引きの相手となる女性が、「未婚の」の女性であること

とされている。また、これらは、形式的側面でヘブライ聖書の雅歌に由来している。
 このパストレルは中世に登場したのち、ルネサンス期まで羊飼いの恋愛を扱うひとつのジャンルとしてさかえた。


相聞について
 相聞とは、『万葉集』において男女の恋愛を読んだ作品群である。本来は親しい間柄で贈答された歌群のことをいう。すなわち『良寛相聞』は、江戸時代の僧良寛と、その弟子貞心尼の間で贈答された和歌群(=相聞)に曲をつけた作品である。なお、千原英喜本人は、「良寛相聞」の巻頭にて、「テキストは良寛の弟子であった貞心尼が良寛の和歌を集めた「蓮の露」を中心に、詩歌を選んだ」と述べている。さらに、曲別解説の『相聞I/パストラーレ』の項目において「夢幻の中の風景の中を、(略)」と述べており、自然風景描写を認める。実際に、歌詞そのものに「野にや出む」とあることから、文学としてもパストラーレというジャンルに属するものと捉えてよいだろう。
 前節をふまえると、パストラルと相聞の共通点として、①野の風景描写があること、②対話形式であること、③男女間の恋愛を扱ったものであることがわかる。

千原英喜の作風について
 千原英喜は、京都エコー(2016)「まるごとちはら」によれば、

東京藝術大学音楽学部作曲科卒業。同大大学院修士課程修了。日本音楽コンクール、東京藝術大学芸術資料館作品買上、グイード・ダレッツオ・コンコルソなどに入賞。“音楽は時空を超えて”を銘に、
① 日本人のアイデンティティ=古典伝統素材の和風もの。
② 東西の祈りの普遍性=キリスト教聖歌や切支丹もの。
③ 日本の歌ごころ=POP/演歌な歌謡性。
④ Classic Transcription=クラシック曲の合唱アレンジ編作。
この四本柱の愛と祈りの曼荼羅音宇宙̶ ― 人呼んで“千原ワールド”を展開している。

という人物である。したがって、『良寛相聞』は、①に当てはまっているといえる。なお、彼の作品の一つである『Agnus Dei = 空海真言絶唱』(2012)では、タイトルからわかるようにローマ=カトリックにおけるミサ通常文の「Agnus dei」と空海が著した「三教指帰」が融合されている。このことから、(『Agnus Dei = 空海真言絶唱』は②に当てはまるものの、)必ずしも上記の分類のみではなく、その分類の融合が起こりうることがわかる。すなわち、『相聞I/パストラーレ』を、日本の「相聞」と西洋の「パストラーレ」の融合として捉えることができる。なお、あくまでも千原氏の作風に従えば、『良寛相聞』は先述の通り①であるため、融合というよりはパストラーレを相聞のアナロジーとして用いていると考えたほうが妥当である。

結論
 『相聞I/パストラーレ』の「パストラーレ」は、単に曲が牧歌的であるということのみならず、中世からルネサンス期にさかえた対話形式を取る恋愛叙事詩の一つのジャンル「パストレル」ないしはそれを内包する「パストラーレ」が「相聞」のアナロジーとして用いられているため、このような標題設定がなされた可能性があると考えられる。

【参考文献 和文
(1)千原英喜『混声合唱とピアノのための良寛相聞』2007,全音楽譜出版社
(2)沓掛良彦『INVITATIO AMICAE(恋人をいざなう歌)』『東京外国語大学論集第35号』1985,   東京外国語大学出版会 頁数不明
(3)ミラー H.M『新音楽史』村井範子ほか共訳 2000,東海大学出版会
(4)横山安由美, 朝比奈美知子『はじめて学ぶフランス文学史』2002,ミネルヴァ書房
(5)京都エコー『まるごとちはら』 2016, 2019/10/08
 https://www.kyotoecho.com/concert/marugotochihara/

【参考文献 英文】
(6)Jean-Claude RIVIERE, Pastourelle., Genève, Droz 3 vols., 1974-1976.