lassiのブログ

考えたことを書きます。

ドイツロマン派の青と難破船

レポート再掲

はじめに
 ドイツ・ロマン主義の芸術運動の背景にはシェリングの哲学が大きく関わっていた。「難破船」は当時流行のテーマであり、かつ、ドイツロマン派において「青」は有限性を表す特別な色だと考えられていた。そこで、難破船というモチーフの流行は、「青色」が有限性を表しそれゆえ美しいという感性に関係しているだろうと考え、それについて検討したい。さらに、その感性の背景にシェリングの哲学が反映されていたのかを調査する。



I.青色の美しさ
 小林康夫『青の美術史』とミシェル・パストゥロー『青の歴史』を参考に、ドイツ・ロマン派までの青の歴史を以下に記述する。まず、古代世界ではエジプト、シュメール、アッシリア、ペルシアといったオリエントを除き基本的に青はあまりみられなかった。オリエント以外ではラピス・ラズリを手に入れるのが困難だったためである。古代ギリシアでは青色ははっきりと認識されず、四大要素である大地・火・水・空気はそれぞれ黄・赤・白・黒に配されており、青はそれらの境界に存在する漠たる色であった。それゆえに夜や死といったイメージが付加され、忌避されていた。そして、中世を通じてマルコ・ポーロ の時代に至るまで、ラピスラズリの青は「海の向こうから渡ってくる」色、すなわちウルトラ・マリン・ブルーであった。キリスト教絵画がさかんに描かれるようになると、青は聖母マリアのマントの色となり、地位を向上させる。その後、ルネサンスバロック期になるとガリレイデカルトニュートンらによって光学の研究が進み、それにより光に内在する青が発見され、絵画にも応用された(例:フェルメール)。
 このような歴史をうけ、ドイツ・ロマン派においては青は特別な色とされた。その認識は、18世紀前半の宮廷社会で、それまでとは異なった明るい青の衣服の流行に起因する。なお、その原因となるのはゲーテの『色彩論』であり、彼はそれにおいて黄―青という対立を中心に据える。具体的には、黄色は最も光に近い色差であり、つねに明るい本性をそなえ、明朗快活で優しく刺激する性質をもつとされ、それに対し青色はつねに何か暗いものを伴っているとしている。そして、青について以下のように述べる。
 
 この色彩は目に対して不思議な、ほとんど言い表しがたい作用を及ぼす。青は色彩として一つのエネルギーである。しかしながら、この色彩はマイナス側にあり、その最高に純粋な状態においてはいわば刺激する無である。それは眺めたときに刺激と鎮静を与える矛盾したものである。[中略]われわれから逃れていく快い対象を追いかけたくなるように、われわれは青いものを好んで見つめるが、それは青いものがわれわれに向かって追ってくるからではなく、むしろそれがわれわれを引きつけるからである。

このように、ゲーテによれば青色はわれわれを引きつけ刺激するが、同時に逃れ鎮静を与える矛盾したものだとしている。ノヴァーリスが『青い花』を書いた背景には、このゲーテの色彩論が反映されているだろう。そして、『青い花』によってたちまち青にはあらゆる詩的特質が付与されるようになった。
 ノヴァーリスと同じくドイツ・ロマン派の詩人ヘルダーリンは、その著作『ヒューペリオン』の冒頭で、「遠い青に心を奪われて、わたしは、あるいは空のエーテルを仰ぎ、あるいは聖なる海に目をそそぐ。するとさながら、わたしには、わたしに近しい霊が双の腕を開いてわたしを迎えてくれるように、孤独の悲しみが神性に満ちた生の中へ融け入ってしまうように思われるのだ」と書いている。ここで、ヘルダーリンは空や海の青を通して神性に満ちた生命を感じている。しかし、空の青は遠く、決して手が届かず、海の青には決して触れることができない。つまり、神性に満ちた生命(=無限なもの)を感じると、遠い青に届かない自己(=有限なもの)がより一層際立つという矛盾が起こっているのだ。「融け入ってしまうように思われる」と比喩を使っていることから、ヘルダーリンはこの矛盾を了解していたようである。むしろ、無限で神性な青に対する人間の生命の儚さが美しいといえよう。
 以上のことから、ドイツ・ロマン派における青は、確かに有限性を表すというよりも、むしろ無限性や神性を表し、それと対比された生命の有限さを強調する装置であったということがわかった。

II.「難破船」の流行
 「難破船」というモチーフは、ロマン派絵画においてよく好まれた題材である。実際に、ドラクロワドン・ジュアンの難破』やジェリコーメデューズ号の筏』、ターナー『ミノタウルス号の難破』、そしてフリードリヒ『氷海あるいは希望号の難破』が有名であり、彼らはみなロマン派の画家だ。難破船に限らず、当時は大量殺戮、難破船、墓地、埋葬(海葬)、死神と馬などのテーマが好んで取り上げられていた。これらは「死」が関係するという共通点がある。また、窓も好んでよく描かれたが、それは「時間的にも空間的にも遠い場所に憧憬を馳せることのできる手段だったから」だという。 実際、先に挙げたフリードリヒも『アトリエの窓からの眺め』や『窓辺にて』という作品を制作している。
 さて、「難破船」というモチーフはロマン派の感性とどのように関係しているのだろうか。それは、やはり「無限性に対する有限性」であろうと思われる。
 まず、「難破船」には大きく分けて2種類がある。1つ目に、難破している最中の様子が荒々しく表現されているもの。これは見てわかるように、壮大な自然の無限性と、それにくらべてはるかに矮小で有限な人間の力ないしは生命が表現されている。そして2つ目に、すでに難破し、それから時間が経った様子が描かれているものである。このように分けたものの、後者にあたるのはフリードリヒ《氷海あるいは希望号の難破》ぐらいである。実際、先に挙げたドラクロワジェリコーターナー、フリードリヒの難破船のなかで人間が描かれていないのはフリードリヒのもののみである。難破船というモチーフにおいて人間の有無は大きく印象を変える。例えば、ターナー《ミノタウルス号の難破》は難破している最中であり、そのあと絵の中の人物たちが助かるか、もしくは助からないかはある種鑑賞者に任せられている。つまり、見ようによっては難破という悲劇から希望を見出すことがでるのだ。一方で、フリードリヒの絵は、すでに難破した様子が描かれている。海は静まり返り、破壊された船も静かにその海の一部と化してしまった様子だ。乗っていた人間はおそらく溺死し、その瓦礫の下に埋もれているのだろうか。それとも無事に逃げてゆき、ただ「希望号」と名付けられた船は見捨てられ静かに海の中で存在し続けるのだろうか。どちらにせよ、フリードリヒの絵は「難破した」という悲しい結末が確定しているのである(=希望の挫折)。それでは、フリードリヒの難破船はロマン派の感性とどのように関わっているのだろうか。
 フリードリヒの絵を次のようにとらえることでわかるかもしれない。荒れた海により希望号は難破し、乗っていた人は死んでしまった。船は底まで沈み、そして海は静けさを取り戻す。船とその中の死んだ人間は、静かに海と一体化する。この解釈に、先のヘルダーリンの一節を絡めてみる。ヘルダーリンは、無限な空や海を見つめると、神性に満ちた生命と一体化する「ように」感じるとした。フリードリヒの絵では、死んだ人間と壊れた船が海と静かに一体化する。つまり、フリードリヒの絵をヘルダーリンの詩の一節の結末として捉えることができるのではないか。人間は、生きている時は神性に満ちた生命と一体化する「ように」しか感じられない。しかし、死んで初めて神性に満ちた生命と「一体化する」することができる(つまり、無限なものとなることができる)。よって、フリードリヒの絵は、人間の死と無限性を結びつけており、結果的に人間の有限性を際立たせた絵であるといえるのではないか。
 以上のことから、難破船というモチーフは空や海の青の無限性と人間の生命の有限性が対比されている。また、I.を踏まえるならば、当時流行っていた大量殺戮、難破船、墓地、埋葬(海葬)、死神と馬難破船というモチーフのなかで、特に難破船の絵画は海の青を必然的に描き出すことになり、それゆえにより一層「遠い青に届かない人間の姿」が強調されるといえる。ゆえに、遠いものに思いを馳せることにつながり、「人間の有限性」というテーマが当時の人々に好まれるのである。

III.シェリングと青
 授業では、かつては同一だった自然と精神が啓蒙によって分断され、それらを和解し調和をもたらそうとしたロマン主義の思想・芸術の背景にはシェリング哲学があったとされていた。上で述べたような青や遠いものを好むロマン主義の感性にシェリングの哲学の影響があったのだろうか。
 シェリング自体は特に色に関する記述は残していないようであり、特に関連を見出すことはできなかった。なお、一つ手がかりになるのは、シェリングゲーテと親交があったことから、その色彩論に影響を受けていたかもしれないということだ。ただ、もしそれが事実であったとして、遠い場所を好むロマン主義の感性にシェリングの哲学が影響しているというよりも、ゲーテの色彩論が多大な影響を与えたということがよりはっきりと確認されるだけであろう。

結論
 ドイツ・ロマン派において青は無限性や神性を表し、それと対比された生命の有限さを強調する装置であった。当時、「死」や遠い場所への憧憬を表すことのできるモチーフが好んでよく描かれたが、特に難破船を扱う絵画では、その題材から必然的に海の青を描き出すこととなり、人間の有限性を指し示す装置としての青の側面が強調されていたということがわかった。

《参考文献》
ゲーテ『色彩論』木村直司訳 2001, 筑摩書房.
ヘルダーリン『ヒューペリオン』『ヘルダーリン全集3』 所収. 新装版, 2007, 河出書房新社.
ミシェル・パストゥロー『青の歴史』松村恵理・松村剛訳 2005, 筑摩書房.
瓜田澄夫「ロマン主義と「難破船」イメージについて」『神戸商船大学紀要第一類文科論集』28巻所収. 1979, 神戸商船大学.
小林康夫『青の美術史』2003,平凡社.